念願の萩へ行ってまいりました。そう吉田松陰先生の松下村塾を見るために。感動しました。ここで吉田松陰先生や、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文の偉大な人財が輩出されたと思うと感極まりました。
さて、その際に出会った言葉がありますので、紹介させていただきます。
『学は、人たる所以を学ぶなり』
以下は著書:吉田松陰 人とことばから 著者:関厚夫
意味は『学ぶ、勉強するということは、人間が人間たる所以を知るためにすることだ』また、『学は道の得否にあり(学ぶということの根幹は道を得るか否かにあるのだ)』つまり、試験の点数や進学、進級に一喜一憂する風潮を批判し、門弟に対してこう説いてます。『凶々たる等級何ぞ争ふに足らん』これは、『進級や試験の結果などという小ささなことを気にかける必要ない。われわれはもっと大きな目標を持って勉学に励んでいるのだ』ということをいっているのです。今も昔も、ということでしょうか。この松蔭のことばの背景には、詰め込み主義や点数主義に対する批判があります。
画一化し、個人を尊重しない教育から生まれるのは、顔や体格こそ違えど、同じタイプの人間ばかりだー。そう痛感した松陰はこんな厳しいことばも残しています。
『学士千百を以て数ふといえども、一二人異なるなし(教育機関がたとえ千百の卒業生を出したといってもその内実は一人二人と変わらない)』現在の日本では松陰のいう『教育』や『学ぶ』ということばの概念が揺らいで久しいように思います。いまこそ、松陰のこれらのことばの意味をよく考え、猛省するべきではないでしょうか。
松陰先生は、こんだけ優秀な人材を輩出していた幕末ですら誤った教育概念に対して危惧していたのです。現在の日本を松陰先生が見たら愕然とすることは明白でしょう。今こそ道徳や思想を教育する松下村塾的な私塾が必要なのではないでしょうか。個人の尊重し、長所を伸ばすことが教育のあるべき姿だと思います。
ダイナリンクス合同会社
代表 松井康成
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